崖っぷちで掴んだ、就職先
社会人・理学療法士としてのスタートは、波乱含みだった。
内々定を頂いていた第一志望の病院は、理事会の決裁が卒業間際までおりず(最終的にはおりたが辞退させて頂いた…)、焦りから就職活動を行うも不合格が続く。

卒業が迫る中、ポッと出てきた求人情報、半ば諦めて受けたのが日本赤十字社の病院だった。
結果は、まさかの合格。後日、面接官だった上司から聞いた採用された理由は意外なものだった。
「筆記は2番目だったが、面接が良かった」と。「新卒の自分に貢献できることなんて少ない。せめて先輩方と飲みに行ってコミュニケーションを取り、知識を吸収することです」 そんな、今思えば少し生意気でふざけた回答が、なぜか評価されたのかもしれない。
世界最大のネットワークを持つ人道機関。高い給与、手厚い福利厚生、そして安くてボリューム満点の社員食堂。新卒の私には、十分すぎるほどの環境が整っていた。
「世渡り下手」の現実
しかし、現実は甘くなかった。 当時の私はあまりにも青く、自分の「自主性のなさ」や「鼻につく正義感」に無自覚だった。
「声をかけられるまで動かない」「やるべきことは上司が教えてくれるもの」という、典型的な指示待ち人間。

決定的なズレは、私の歓迎会で起きた。
1次会の最中から、「一人だけ明らかに浮いている人がいる」という違和感は感じていた。
そして2次会。そこは特定の上司への悪口や愚痴が飛び交う、お世辞にも楽しいとは言えない空間だった。
私にとってその上司は、自主性のない私に色々と指導してくれる良い人だった。
無意識に顔に出ていたのだろう。ある先輩から「〜君、面白くないでしょ?」と水を向けられ、私はド正直に、そして最悪のタイミングで答えてしまった。
「はい、面白くないです」
面接で語った「飲み会でのコミュニケーション」なんて、カケラも持ち合わせていなかった。
それ以来、先輩たちの態度から「自分はハブられている」と思い込み、狭い世界で勝手に被害妄想を膨らませていた。
偶然仲良くなれた男友達二人と、同期、そしてなぜか付き合ってくれた看護師の彼女が心の拠り所だった。
彼らがいなければ、私はもっと早くに潰れていたと思う。
地元への帰還と、埋められない溝
職場での仕事には慣れてきたが、ある日、組織のトップから残酷な通達を受けた。 「最も仲が悪い(と自分が思い込んでいた)あの先輩とチームを組んで、循環器の治療にあたってほしい」
当時の私にとって、これは耐えがたい苦行だった。当然、お互いに歩み寄ろうとはせず、自主性のない私は何から手を付ければいいのかさえわからず、一人で悩み、立ち尽くしていた。
そんな折、親から地元の中核病院の中途採用情報が届く。長期実習でお世話になり、高校の先輩や同級生もいる。親は口に出さなかったが、きっと帰ってきてほしかったのだろう。
当時の私は、奨学金の返済と遊びを重視する生活で、貯金なんてほぼなかった。 「逃げ出したい人間関係」と「厳しい金銭状況」。 すべての条件が、私を地元へと引き戻した。

地元への転職が決まり(最悪の退職劇だったがそれは別のお話)、彼女とは遠距離恋愛へ。付き合って3年半。
「これからもずっと一緒にいる」と信じて疑わなかった私は、彼女にプロポーズをした。答えは「Yes」。幸せの絶頂にいるつもりだった。
けれど、具体的に結婚の話を進めようとすると、彼女は決まって話をはぐらかし、機嫌を損ね、体調が悪いフリをした。 当時の私は、そのサインの裏にある彼女の気持ちに気づけていなかった。
地元を離れる気のない私。お金がないからという理由で「実家での同居」を平気で口にする無神経さ。
キャリアアップを目指し、看護師として働き盛りだった彼女にとって、それは自分の人生を犠牲にする「不安」でしかなかったはずだ。
深夜のコンビニと、決別の言葉
付き合って4年半。変わらない日常への焦りと不満は、ある夜、決定的な瞬間を迎えた。
元々お酒が好きな彼女だったが、いつしか不安を紛らわすためか、その量は度を越していた。
「酔い止めを飲めばもっと飲める」と漢方薬まで併用して酒を煽る姿。見ていて全く楽しくなかった。
「お前も飲めよ」と、今でいうアルハラにまで発展していた。

旅先で歩けなくなった彼女を介抱し部屋で休ませ、頼まれた水を買いに走った深夜のコンビニ。
戻ってきたとき、泥酔して眠る彼女を前に「自分は一体、何をやっているんだろう」という、猛烈な空虚感に襲われた。
帰りの道中、気づけば別れの言葉が口をついて出ていた。どれだけ罵倒されても、冷めた気持ちは微動だにしなかった。
最初は、彼女の身勝手さを責めてばかりいた。しかし、思考を巡らせるうちに、悪いのは相手ではなく、この歪な関係に甘んじ、現状を変えようとせず、思考を止めていた「自分自身」ではないのか?
「変わらなければならないのは、私の方だ」
相手への怒りは、いつの間にか、自分自身へ。停滞に対する強烈な焦燥感へと変わっていた。
自己効力感の覚醒
「自分を変えなければ」という焦燥感の中で、ふと思い出したのはYouTubeだった。 当時、自分では全く利用していなかったが、彼女が熱心に見ていたのを思い出し、何気なく画面を開いた。

そこで目に飛び込んできたのが、当時まだアマチュアだった「Kanekin Fitness」のチャンネルだ。磨き上げられた肉体、かっこいいライフスタイル。
理学療法士という職業柄、体の構造には詳しかったはずの私だが、彼の発信する「自らを律して作り上げる強さ」に、理屈抜きで格好いいと痺れた。
「自分を磨きたい」「もっと自信を持ちたい」 そんな純粋な渇望が、彼のロジカルなトレーニング法や食事管理の動画と合致した。
「これならできる。真似をすれば、自分も変われるはずだ」 根拠のない、しかし確信に満ちた前向きな気持ちが湧き上がってきた。
それから、週に5・6日の筋トレとランニング、そして徹底したPFCバランスの管理。ストイックな日々を経て、体脂肪率は一桁台に突入した。


部活動に明け暮れていた学生時代でさえお目にかかれなかった腹筋が、鏡の中で見事に割れていた。
鏡に映る、以前とは別人。それは単に「筋肉がついた」という物理的な変化だけではなかった。
「自分の意志で、自分自身をコントロールし、変えることができた」
その強烈な自己効力感が、私の中に眠っていた静かな自信を呼び覚ました。
すべてはここから始まった
あの時、必死になって手に入れたのは、目に見える身体の変化だけではなかった。
何にも代えがたい「自己効力感」、そして何より、物事をやり遂げるための「習慣化する力」と「継続する力」だ。
「自分は、自分の力で人生を変えられるんだ」
その確信と、自らを律して積み重ねる力が、停滞していた私の生活を一変させることになる。
この小さな、しかし強固な成功体験が、いかにして現在のライフスタイルへと繋がっていくのか。
その続きは、次の日記で振り返りたい。


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